お侍様 小劇場 extra

    “皐月晴れ” 〜寵猫抄 “花曇り” 後日談


 前々から予定があったワケじゃあない。ある意味、突然降って沸いたような依頼でこの身を拘束されていた。もはやこの手からは離れたも同然な作品で、すっかりと対岸の話として眺めているつもりでいた。だというに、製作陣営の一人、大原作者様よとの招聘を受けてしまい、ゲームソフト化へ向けての企画会議とやらに参加させられてしまった、島谷勘平こと、島田勘兵衛せんせいで。

 “都合4日も、付き合わされてしまった。”

 レセプションにまで付き合う義理はないと、プレス向けのご挨拶の部分までを限
(キリ)として。所用があるので早退しますと、とっととホテルから帰らせていただいた。何なら、病名はホームシックと書かせた診断書を出してもよかったほどに、家族との接触に飢えていたからで。これまでだって、自分への取材ではなく 執筆作品への参考にするための取材にと、単独で遠出することも結構あったのだけれども。

  逆上れば昨年の春辺りから、
  どうにも離れ離れがきつくて敵わぬ

 遠縁の親族でもあり、唯一の同居人にして それはてきぱきと雑務を片付けてくれる敏腕秘書殿が。それだけをアテにしている勘兵衛ではないという思い入れ、やっと気づいてくれたのが1年前の春先のこと。焦るあまりに無理強いするのは良くないと、自然に気づくの、じっと待ち続けるばかりでいたのだが。どうにも考えようを変えるつもりの無さそな、それも血筋か、頑迷さでは自分といい勝負な彼だったので。愛らしい家族が増え、気持ちが随分と絆されているのをいい機会と見て、こちらからの思い入れを言って聞かせた末、やっとのことで素直に身を任せてくれるよになった七郎次であり。意外だったのが、自覚はあっても封をしていたという、彼の側からの淑やかな想いで。馴れ合ってはならぬという、毅然と振る舞うための矜持にしていたらしい境界線のようなものが、一気に突き崩されたようなものだから。勘兵衛へと強腰になり切れず、むしろ…じいと見つめられちゃあ いちいち真っ赤になる場面が、まあまあ増えたこと増えたこと。

  そして

 “それがまた愛おしくてならぬと、
  目が離せぬどころじゃあなくなっている儂の方も、
  たいがいなのだろな。”

 互いの互いへの想いを自覚し合っただけのこと。籍を入れたの、新生活に向けての新居へ移っただのという、生活や何やが大きく変わった訳じゃあなし。特に勘兵衛の側は、ある意味 自惚れているようにも聞こえかねぬが、随分と気丈夫な七郎次だとはいえ、その気もない相手と床を共にするよな人性ではないと踏んでいたがため、彼と同様に“思いも拠らぬ突然の告白を受けた”というよな立場じゃなし。恋女房への愛おしさの丈も、既に十分なそれだったので、自分へ限っては感情面でも 何が変わるということもなかろと高をくくっていたのだが。

 “……。”

 七郎次が見せる、愛らしい仔猫への甘やかな構いつけや、含羞みの滲んだ微笑いようへ。以前にも増しての蠱惑を感じ、落ち着けぬようになっている自分に気づいた。仔猫にばかり構けられると、妙にむずむずしたもの感じて落ち着けぬ。あの白い手や指先で、髪やら襟元やらへ触れられたくてしょうがない。その挙句、たかだか4日の別離が辛い…となる始末。これはもう、立派な禁断症状だとの苦笑を咬みしめながら、編集関係者たちからの名残り惜しげなご挨拶もほぼ聞き流し、ホテルのフロントアプローチにすべり込んで来たハイヤーへそそくさと飛び乗ると。生涯初めての“敵前逃亡”を帰した島田勘兵衛だったのであった。





     ◇◇◇



  ………で。


 帰宅してまずはと出迎えてくれたのが、意外にも仔猫の久蔵で。仔猫と言っても自分と七郎次には幼い坊やにしか見えぬ。こちらの腰までもない背丈の、そりゃあ稚
(いとけな)い坊やが、とてとたという覚束ぬ足取りで、それでも懸命に駆けて駆けて玄関までをやってくると、

 「にゃっ! みゃうにゃっ!」

 七郎次流に言えば“はぁくはぁく”という急かしよう。辿り着いた上がり框で、白い靴下の小さな足元踏み鳴らし、ふわふかな綿毛を揺さぶりながらこちらを見上げ、早く上がれと勘兵衛をしきりに急かす彼であり。

 「お主だけなのか? 七郎次は如何した。」

 時にはその懐ろへと抱えた姿で、時には鬼ごっこでもしているかのよにおチビさんの後を追うようにし。一緒にお出迎えだと運ぶのが常な筈の、愛しの美丈夫殿がなかなか現れぬ。洗濯物でも干しているものか、はたまた奥まった部屋で掃除の最中か。いやいや、この子から目を離す彼ではない筈。本体は 身も軽ければ脚のバネだって半端じゃあない猫だというに。勢いに任せた とてちてという歩きようが危ないだの、靴下だけな足元が滑りはしないかだの、過分な心配をし倒す君なので、

 「…何んぞあったのか?」
 「みゃっ、みゃあみゅっ!」

 言葉が通じぬ者同士なれど、幼いながらも切なげに眉寄せたその表情の切迫ぶりから、只ならぬ何かしらが十分に伝わるというもので。訊きながらも既に上がり込んでいた勘兵衛、それを導くつもりか、こっちよこっちと先へ急ぎかかる坊やなのへと、腕を延ばしてひょいと抱え上げ。案内よろしくと、大股の急ぎ足にて、坊やがやって来た方を目指すことにする。途中、リビングへ向きかかった途端、懐ろを小さな手が とんとんとんと忙しく叩き、キッチンへ向かえと壮年殿の肩の向こうを差すほどに、それは行き届いた案内を果たせた仔猫さん。その真っ赤な双眸で見据えていた先には、

 「……っ、七郎次っ。」

 嵌めごろしの窓から暖かな陽射しの降りそそぐ明るいキッチンにて、板の間の床へ頬つけ、倒れ伏していた家人の姿が、その視野へと飛び込んで来たものだから。さあさあ勘兵衛も焦った焦った。駆け寄ったも同然という速やかさ、傍らへまで至ったそのまま 床へ膝をついたれば。久蔵坊やも自分からぴょいと床へ降り立って、長々横たわる家人のお顔近くを覗き込み、みゃあにゃあと細い声にて しきりと呼びかけ始める案じよう。

 「七郎次、如何したっ!」

 頭を打っておれば揺さぶらぬ方がいいと聞くが、うつ伏せているのでその恐れも少なかろう。何より、表情が見えぬでは案じようもないと、肩へ手を掛け、その身を起こさせようとしかかったところ、

 「…………ん。」

 触れたその上、ぐいと引っ張ったことが刺激になったのか。項垂れていた頭が自分から持ち上がり、その胸元辺りに下敷きにしていた腕を立て、何とか身を起こそうとしかかる彼だったので、

 「シチ、無事か?」

 あらためてのお声を掛ければ、

 「 、………あっ。」

 一瞬。何をどう思ったものか、その肩がびくりと震えたものの、顔を上げるとこちらを見やり、それからそれから…勘兵衛には待望だった再会果たせた白いお顔が、だが、見る見るうちに 辛いか痛いか引き歪んでしまう。

 「かんべ、さまっ」
 「シチ? 如何した、何があったのだ。」

 何とか起こしたその身を支えるよう、床へとついた右手の傍らに、輪にしたゴム留めが無造作に落ちている。家事の邪魔だからと、それでうなじで束ねていたのだろう、つややかな金絲が肩の上へと散っており。シンプルなTシャツへ重ねたグレーのニットの上、無残にあちこちへと撥ねている乱れようが、どれほど取り乱した彼なのかを物語っているようで。

  とはいえ

 ずっと不在だった勘兵衛がやっと戻って来てくれた、それもこうまでの間近にいるということが、そのまま例えようもない安堵を彼へと齎してもいるらしく。こちらから腕を伸ばし切るのを待つまでもなく、彼の側から膝を進めて来ると、その身をすっかりと懐ろ深くへ掻い込んでくれる勘兵衛へ。何からも誰からも守るとの意を得てのこと、ほぅという深い吐息をついた七郎次であったものの。それだけではまだ何かしら収まらぬものか、かすかに震える手が主人の背へと回されていて、もっととの求めを示すよにすがりつくのが痛々しい。意識を亡くして倒れていただけでも大事だのに、活け戻してもまだ こうまで打ちひしがれているとは、あまりにも尋常では無さ過ぎる。か弱い婦女子じゃあるまいに、そうそう簡単に昏倒する人性でもあるまいと思えば、尚のこと、どれほどの出来事が彼を襲うたかと、不安は尽きない勘兵衛だったが、

 「……何があったのだ、話せぬか?」

 急かすことがそのまま、倒れたほどに恐ろしかった、若しくは不意をついて襲いかかったそのものを、彼へとまざまざと思い出させることへも通じぬか。小刻みな震えが止まらぬ彼なのへ、遅ればせながら そういった不安を覚えてのこと、感情の高ぶりを必死で押さえ、出来るだけ刺激を与えぬようにと、優しく訊いてみたところが、


  「………………アレが、出ました。」

  「……アレ?    、さようか。」


 頭の中が空白になる瞬間というものを、久し振りに体験し。それからそれから、ああと合点がいったと同時。背中へ回されていた七郎次の手が、きゅうとこちらの上着を掴んで来たのへ気づく。彼だとて何とかしたいと思っていること。何とかと頑張って、三度に一度は自分で対処しようと、克己心を奮い立たせていることだと。そちらの事情や現状も重々知っている勘兵衛である以上、笑ってしまうつもりは さらさらなかったし、むしろ…どれほど怖い想いをしたかと思えば、

 「逃げ出さなかったとは よう我慢したな。…退治もしたのか?」
 「…………。(頷)」

 床を改めて眺め回せば、流し台の足元の隅のほうへと蠅たたきが投げ出されており。余程に間が良かったものか、その下敷きになって、黒いあいつが絶命している。久蔵が にゃあみゅと、機嫌を伺うような小さなお声で鳴いて話しかければ、その身は勘兵衛へと凭れさせたまま、手を延べて坊やを抱え上げた女房殿で。


 久蔵が、向こうへ行けと追い払ってくれたんですよ。

  さようか。

 でも、逃がすばかりじゃ落ち着けないからって思いまして。

  うむ。

 角に追い詰められたような格好になっていたので、
 当たれっと念じて投げたところまでは覚えているのですが…。


 昏倒していた間に、躱されて逃げられていたら…と 今になって思ったものか。懐ろへ収めたその身が、ふるると微かに震えたのが伝わって来たので、

 「始末をしておこうな。お主は久蔵と共に、居間へ退いておれ。」
 「………はい。///////」

 離れかけての立ち上がるすんで。今一度と抱き寄せ直されたその上で、頭とそれから背中を 大きな手が撫でてくれて。

  偉かったぞ、いい子だぞと

 もっとずんと幼い子へするような いたわりをくれた勘兵衛だったのが、すぐにもそうだと拾えての、さすがに恥ずかしかった七郎次だったが。それ以上に…恐怖も驚きも何もかも、勘兵衛にすりゃあ想像するしかない代物だろに、ちゃんと判ってもらえているのが嬉しくて。

 「にゃあ?」
 「…………うん。そうだね、向こうで待ってようね。」

 やはり案じるようなお声を出して、こちらを見上げて来る坊やのつぶらな瞳へと。気力を何とか絞り出しての微笑って見せつつ、よいせと立ち上がった七郎次を見送って。

 「……さて。
  夫がいないをいいことに、人の妻を襲うた愚か者はお主か?」

 こらこら勘兵衛様、いやさ島田せんせいったら。芝居がかっているけれど、眸が笑ってないぞ、眸が。
(苦笑) 帰って早々に肝を縮める図と遭遇しちゃった先生だったが、
ホントはもっと壮絶な事態だったと、知らぬが花の昼下がり。窓の向こうのモクレンの枝の上、まばらに萌え出した葉の陰では、あのね? しなやかな肢体の黒猫が、やれやれと言いたげな所作にて、耳を揺すぶり頭ごと、ふるると振るってた昼でした。




  〜Fine〜  2010.05.02.

  蛇足のおまけへ → ちょっぴり ムフフだぞvv



戻る